ほっけ定食

ほっけ定食

 由緒ある小説大賞で、稀代の天才が生まれた。テーマ、ストーリー、登場人物、情景描写すべてにいたるまで完璧に描かれている。あまりの完璧さに審査員だけでなく辛口な評論家たちも口をそろえて絶賛しており、メディアでも連日大きく取り上げられている。この小説が評価された理由は、それだけではない。作者は若干18歳、最年少受賞者にして幼い頃に愛する母を失った、悲しきシンデレラなのだ。

 福井穂杏(ふくいほのか)は読んでいた雑誌をしまうと、足早に本屋を出た。どこのマスコミも同じようなことしか言わない。「天才」「完璧」「最年少」そして「母を亡くした」。小説がどうよかったのかについては誰も触れてくれない。とりあえず天才とか完璧と言っておけばいい。そういう軽い気持ちが見て取れる。受賞したのに誰も自分をみてくれていない。苦しさが募るばかりだ。

 母を亡くしたのは穂杏が中学2年生のとき、交通事故だった。友達の家でお菓子を食べながらおしゃべりしていた時に、その連絡がきた。慰安室に横たわる母をみたとき全身の血が凍った。いつも怒っているような赤ら顔が、青白くなった姿は今も脳裏に焼き付いている。
 女一人子一人の家庭で母以外に家族はおらず、親戚も全くいない穂杏は施設に引き取られた。明るかった性格は暗くなり、学校でもなんとなく友達との距離が出来た。なにをするにもやる気が起きず、母の後を追おうかと考えるばかりだった。それでもなんとか生きて、そのときの辛かったことや苦しかったこと、すべてをこの小説に注ぎ込んだ。穂杏のすべてがここに刻まれている。

 どれだけ熱弁しても、みな母親の部分だけを取り上げる。今思えば馬鹿正直に思いを伝えた自分が馬鹿だった。マスコミはそういった悲劇が大好物って決まっているのに。お母さんがいなくて大変でしたね、もしお母さんに会えたらなんと伝えたいですか、お母さんも天国で喜んでいますよ。お母さん、お母さん……。
 次第に穂杏は母を嫌うようになった。思えば母のことをあまり好きではなかった。がさつで清潔感がなくて、いつも口うるさい。自己中心的で穂杏の話を聞こうともしない。私はあんな人間の後を追おうとしたのか、小説に入れたのか。自分が自分で嫌になった。


 スマートフォンが鳴った。担当編集者からだった。
 「福井さん、モーニングトロフィーから出演依頼がきています。ご家族を亡くされた方の心のケアについてという特集なんですが……」
 気が付いたらスマートフォンの電源を切っていた。
 今きた道を戻ってどこか誰も知らないところに行こうと思った。

 レセプションパーティーで誰かが教えてくれた。
 都内郊外の高級住宅街に、小説家しか入れないという不思議な食堂があるらしい。お代は小説だけ。味は超一流で一口食べれば新作のアイデアから些細な悩みまですべて解決するという。
 穂杏はその食堂の前にいた。大きくて不思議な形の高級住宅の間に、無理矢理作ったかのような小さな家。
 チャイムを押すと、店主の篠宮ひかるが現れた。さらさらの長い黒髪をひとつに束ね、黒縁めがねの奥は満月のように黄色く光る瞳。落ち着いた色のエプロンを身にまとった体はかなり細く、思わず女の人と間違えてしまいそうだ。それを伝えると
 「僕のこと男って分かってくれたんですね」
 となぜか喜んでいた。
 
 食堂の中はごくふつうの家と同じ作りをしていた。廊下と、トイレや洗面所とつながるであろう扉。そしてリビング。どれも狭くて小さくて暗い。そして殺風景。閉所と暗所が苦手な人は入れないだろう。
 リビングは一人用の木製のテーブルと備え付けのイス、天井からテーブルに向かって吊り下げられた小さなライト以外はなにも置かれていない。食堂はおろか、ふつうの家としてもかなり地味だった。
 音のない室内で、世間から離れてゆっくり深呼吸をする。不思議な部屋に迷い込んだみたいで少しわくわくした。

 穂杏が頼んだのはほっけの塩焼きと豚汁の定食。心にぽっかり穴が空いているとき、無性にあたたかい和食が食べたくなる。隣の台所から食材を切る音が聞こえてきた。
 こんな音聞いたことがない。
 母は料理が大嫌いで、生きていた頃はスーパーの総菜か冷凍食品がほとんどだった。マスコミの嘘のせいで、どうやら世間では毎日穂杏のためにクッキーを焼いてあげる心優しい女性的なお母さんというイメージがついているらしい。実際は家事が大嫌いで仕事も雑な女だっていうのに。そもそもそんなお母さんこの世に存在しないし。たぶん。
また母親のことを思い出してイライラしてしまった。静かで落ち着ける空間だとおもっていたが、頭の中の声がよく聞こえる苦痛な場所だと気づいた。頭を空っぽにしようと思えば思うほど、母の顔がはっきりと浮かんでくる。

 ほっけ定食が出来るまでさほど長くはなかったように思うが、穂杏にとっては三時間に感じた。我慢の限界だった穂杏は、とびきりとげのある口調で
 「これ、おふくろの味だと思ってます?」
 と聞いた。ひかるはなにも答えない。
 「全然違いますよ。ただただ食べたかっただけです。あの人料理嫌いだったからこんなすごい料理作れませんし。そもそも魚の焼き方もよく知らなかったんじゃないかな。世間では私お母さんめっちゃ好きみたいなこといってるけどほんとは大っ嫌いなんで」
 「……」
 なにがいいたいのか自分でもわからなくなっていた。それでも母の悪口が止まらない。
 「分かりますよ。僕も親父死ぬほど嫌いなんで」
 穂杏の言葉を遮るようにひかるが声を発した。
さきほどまでの上品な印象とは違い、「死ぬほど」といった荒々しい言葉が出てきた。穂杏がそれに驚いている間にひかるは台所へ戻ってしまった。
 


 言ってはいけないことを口にしてしまったかもしれない。あとで謝ろう。
 冷静になって気を取り直して料理をみる。
 焼き目が程良くついて見るからにふわふわだとわかる大きなほっけ、つやつやで湯気がでている白いご飯、いろんな種類の具があふれている豚汁。テレビ番組をみているかのようにきれいな見た目をしている。
 箸をとって、ほっけをとる。なるべく美しい形を損なわないように丁寧に。皮が小さくパリっと鳴ったあと、ほろりと崩れて真っ白でつややかな身が現れる。この形を保つようにゆっくり箸でつかむ。掬った小さな身が小さなライトに照らされてきらきら輝いている。一口。あたたかい素朴な味がじっくりと口のなかに広がっていく。醤油を少しだけかけると、素朴ながらも香ばしさがましてご飯が止まらない。豚汁の具は何だろう。豚肉と人参、タマネギキャベツに大根。なんて豪華なメンバーなんだろう。全体的に柔らかくも、シャキシャキとした触感がのこっている。すべての風味がとけ込んだ味噌が乾いたのどを通って、空っぽの胃を暖めてくれる。なんともおいしい。

 食べている間は母のことを忘れることが出来た。
 一番母に囚われているのは世間じゃなくて、自分自身なのかもしれない。小説のことを考えていなかったのは穂杏も同じ。ここ最近ずっと母のことしか考えていなかった。もっと小説家としての自覚を持たなくては。そう決意してほっけに食らいついた。

 お代の小説はまた今度でいいと言われた。ひかるは出会った頃のような穏やかな男性に戻っていた。
 「さっきはいろいろいってすみませんでした。本当においしかったです」
 「いえいえ僕の方こそ申し訳ないです……。お客さんに向かって、きつい言葉を発してしまいました」
 眉を吊り下げて謝るひかるからは、何があるのかは全くわからなかった。
 でも何か心の奥に暗い何かがある気がする。
 「……お互いがんばりましょうね」
 明るい声で言って、店を後にした。
 電源を切っていたスマ―トフォンをつけると、次回作の依頼が来ていた。
 テーマは頑張る女性を応援するようなものらしい。
 穂杏は頭を小説家モードに切り替えた。

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