ビールに枝豆、焼き餃子と鶏なんこつ

ビールに枝豆、焼き餃子と鶏なんこつ

 夕方の飲み屋街は、平日にも関わらず仕事終わりのサラリーマンであふれていた。皆つらい仕事から解放され、心の底から楽しそうな顔をして各々気に入った店に入っていく。

 そんななか、一人の男が怒りに満ちた表情で歩いている。年齢は五十代後半、痩せてひょろひょろとしているが、眉間にしわを寄せ鋭い目つきでサラリーマンを一瞥する姿には力強さを感じる。ベテラン小説家、大木場仁。彼がこうなったのは、数時間前のことだった。

 『地元酒場シリーズ』、それが仁の代表作。どこにでもいるふつうのサラリーマンが、出張先で訪れた居酒屋を舞台にさまざまな問題に巻き込まれる物語だ。よくある話だが、仁の細やかな感情描写とおいしそうな料理に引き込まれる人が多い。さらに実在するお酒がたくさん登場するので、お酒好きな人からはお酒のバイブルとして愛されている。

 そんな『地元酒場シリーズ』は来月で二十五周年を迎える。そこで記念の書き下ろし単行本が発売されることになった。これまでの登場人物たちが総出で出演する豪華な回になる予定だ。

 編集社の打ち合わせスペースで、担当編集者と今後の展開について話し合う。頭をかきながら資料をみている編集者をみる。出会った頃は流行のロングヘアだったのに、いつのまにかてっぺん禿になっている。仁も最近は髪の毛が薄くなっているが、彼ほどではない。てっぺん禿が見えなくなって、相棒の神妙な表情がうつる。

 「ここ数年で、かなり売り上げが落ちてる。本が読まれないこともあるけど、最近お酒を飲む人が減ってるのも原因だろうな」
 「それが?」
 「そのかわり、ごはんに関する小説はかなり増えているし、人気もある。書き下ろしは酒少なめで居酒屋メシ中心に書いていった方がいいだろう」

 「は?」
 思いも寄らないことばに仁は耳を疑った。

 「これは酒の小説だろ? なのになんで減らすんだよ」
 「せっかくの二十五周年記念の本が売れなかったらイヤだろ。それに居酒屋メシも悪くないぞ。お前も好きだろう」
 「ファンはいつも通りの酒メインの話が読みたいんだ。いきなり趣旨変えたらそっちのほうが売れなくなるだろ」

 お互いに声が大きくなる。事務所の隅にあるから、少しずつほかの社員が集まってくる。
 「おまえは昔からそうだ。頑固で融通が利かない。おまえの横暴さにどれだけこっちが苦労してきたことか」
 「頑固はおまえのほうだろ。編集者だからって上から目線であれこれ言いやがって。一番ファンのことをわかっているのは書いてる俺なんだよ」
 小説の構想を越えてお互いの悪口の言い合いとなってしまった。止まらない口論に、二人のあいだに社員が割り込み強制終了となった。

 「なあ。昔のままじゃダメなんだよ。変わらないといけない」
 「俺は変わらないぞ。人の顔色みて自分を変える意味が分からない」
 大きな舌打ちを残して、仁は編集部をあとにした。

 事実、『地元酒場シリーズ』の売れ行きは芳しくない。とはいえこれは酒飲みのための小説。酒好きな仁の魂とも言える作品だ。なのにその魂を減らすとは。所詮あいつは組織の人間だからそんなことを言うんだ。考えれば考えるほどイライラしてくる。
 いつもの居酒屋でやけ酒してやろうと思い店に寄ったが、宴会をしている団体客と店主が楽しそうに話をしていた。なんだかそれにも腹が立って、入るのをやめた。

 所在なさげにぶらぶらしていたときに、ふと思い出した、小説家しか入れないという食堂の噂。料理は一流、お代はこれまでに自分が書いた小説だけだという。たいそうな店つくりやがって。ケチ付けにいってやる。仁はニヤリと笑うとさらに大股で飲み屋街を去った。

 意気揚々と店にたどり着いた仁だったが、野望はあっという間に打ち砕かれた。
 店に着くとミステリアスな美人女将に迎えられた。長身の細い体躯にひとつにまとめられた濡れた黒髪。知性を感じる眼鏡に、月のように黄色い瞳。どことなく未亡人のような儚さを感じる。過去に書いた地元酒場シリーズのヒロインとそっくりで、思わず自分の作品の中に入ってしまったのかと疑うほどだった。あの回は主人公とヒロインが一夜をともにするシーンがあった。もしかしたら自分も……。先ほどの怒りはどこへやら、そんなことを思わずにいられなかった。

 しかしその女将はこともあろうか男だった。
 「いらっしゃいませ」と仁を優しく迎える声は、ヒロインとはかけ離れた低い重厚感のある音をしていた。よく見ると手は骨ばっているし、喉仏も仁よりも大きい。少しでも期待していた自分を殴りたくなった。男ならひとつでも文句を言ってやろうと思ったが、首をかしげてこちらをみる顔は美しく、惨めにも何も言えなかった。

 昼までのイライラと自分への恥ずかしさでどうにかなりそうだ。音楽でもかかっていれば気が紛れるのに、3畳ほどの狭いリビングは驚くほどなにもない。小さなテーブルとイス、あとはテーブルの上に吊るされた小さなライトだけ。メニューもなければ装飾品もなにもない。南側に大きな窓があるものの、周りの高級住宅の影でまったく光が入らない。陰湿な店だなと思った。

 すぐに頼んだビールと枝豆がきた。液体7泡3の黄金比が美しいビールと、おかわり用の瓶ビール数本。小皿に山盛りの枝豆。酒を飲むときはこうでなくちゃ。
 早速グラスにふれる。目が覚めるほど冷たい。ニヤけながらビアグラスをがっしりつかんで一気にあおる。
 くすぐったいほどきめ細やかな泡のあとにくるキレのあるビールの苦味、ガツンと来るのどごし。今日このときをどれほど待っていたか。勢いよくゴクゴクと飲み干して、
 「かーっ!」
 至福の声を出した。キンキンのビールなんていつぶりだろう。すぐに瓶をかたむけ2杯目を入れる。こんなうまいものを書くななんてどうかしてる。思い出せば出すほどイライラしてきた。すぐに飲み干してもう一度入れる。これまでにいハイペースで瓶はあっという間に空になってしまった。

 一度枝豆に手を伸ばす。ライトに照らされて、塩がきらきらと輝いている。一粒一粒が大振りで食べ応えがあり、塩味もしっかり利いてちょうどいい。これまた止まらない。ビールと同じくハイペースで減っていく。あとでおかわりをもらわないといけない。

 「お待たせしました」
 香ばしい油のにおいとともにひかるが入ってきた。
 綺麗なまるい羽のついた焼きたて餃子に、鳥なんこつのからあげ。追加で枝豆と冷えた瓶ビールも出してくれた。

 ここからが本番だ。

 餃子の羽を箸で割ると、さくっと軽い音がする。皮もほどよいきつね色だ。酢醤油をつけて一口。
 「あづっ」
 歯を立てた瞬間あつあつの肉汁があふれ出した。念入りに息をかけて冷まし、また口の中へ。まだ熱い肉汁と格闘しながら食べる。サクサクの羽とふわふわの皮、にんにくと黒こしょうが効いたごろごろと食べ応えのある餡。しっかり味わってやけど気味の口に冷えたビールを流し込む。ジューシーな肉汁であふれた口内が一瞬ですっきりする。そしてのどに走る爽快感。勢いに任せてそのまま鳥なんこつを口に入れる。こちらも熱くてすぐには噛めなかった。ふわふわの衣にコリコリとした歯ごたえのなんこつ。こちらも黒こしょうがよく効いている。何個か一気に口に入れて、ゴリゴリした食感を楽しむ。もう一度ビールを流し込む。
 「っはー!」
 至福の時だ。これまでのすべてを忘れて、ただただ幸せな時間に酔いしれることができる。餃子と鳥なんこつ、ビール。たまに枝豆を繰り返して、追加でもらった3本のビール瓶もすぐに空になってしまった。

 最近大人になってお酒をやめた人がいて、なんともったいないことをしているんだろう。ビールを不味いものと思っているなら言語道断。これこそが大人の楽しみなのだ。書き下ろしはそういう酒を遠ざけた人たちをまた酒好きにする内容にしようか。頭で構想を練っていると、ひかるがさらに酒の追加を持ってきてくれた。

 「料理がうまくてビールが止まらないよ」
 「ありがとうございます。ビールにあうように作っておりますので。ごゆっくりお楽しみください」
 ここでふと編集者の言葉を思い出してしまった。
 「それに居酒屋メシも悪くないぞ。お前も好きだろう」
 そういえばそうだった。酒を飲むのはもちろん、食べ物と一緒に飲むから楽しいんだと気づいた。急に納得した自分に腹が立った。きっと酒を一気に飲んだから酔いが回っているからこんなことを考えるんだ。そう思うことにした。

 するとなんだか無性に担当編集者と酒を飲みたくなってしまった。たまらなくなって席を立ちひかるのいる隣の部屋に行く。足はふらつくことなくしっかりと床を踏みつけていた。
 ひかるは台所で先ほど仁が渡した小説を読んでいる。
 「なあ、ここって小説家以外は入れないんだっけ」
 「どうかされましたか?」
 「担当の編集者と一緒にここで飲みたいんだけどいいかな。もし酒とか食いもんがなかったら俺買ってくるから」
 ほんの少しだけ間があって、ひかるが微笑んだ。
 「……かまいませんよ」
 「ありがとう」
 すぐさま携帯電話を取り出して編集者に電話をする。
 会って飲むからと言って、決して謝りはしない。それに酒の良さも伝える。ただ、お前の案もいいかもなと言ってやろうと仁は心に決めた。

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